聖ヨハネ会桜町病院事務長Tさんに、企画展の展示写真を送る。とうに写真データはそろっていたのだが、圧縮や宅ファイルの操作が出来ずそのままになっていたのだ。奈々さんにお願いして送ってもらう。今回の「あやに愛しき」~病妻 繁子との切なき日々をつづりて~展の写真データをお借りする際の約束がやっと果たせ、ほっとしている。

 2F廊下の壁面に敷いてもらったピクチャーレール、しばらくそのままになっていたが、やっと篠田先生の油絵3点を追加展示する。何もなかった白い壁面が、生き返ったように思える。

 明日から大型連休の前半が始まる。休日でもないのに、なんだか館内にもそわそわした雰囲気が漂っている。せっかくだが、明日は休館日。でも、14:00にはやって来て、町民ギャラリーで30日から始まる「ビキニの海は忘れない展」の展示作業。宅急便で5、6箱展示パネルが届く。事務室に一時保管する。
 4/30~5/5は、開館しています。ぜひこの機会に高知や中村の街に留まらず、大方あかつき館・上林暁文学館や町民ギャラリーまで足を伸ばしてみませんか。

 午前中、田ノ口小学校の子どもたちが遠足でやって来る。避難タワーや高校生津波サミットの碑など見学して砂浜に向かった。雲一つない一日、日陰のない砂浜ではさぞかし真っ赤に日焼けして帰ることだろう。

 今年度第1回目の「上林暁の作品を読む会」は、6/17(土)14:00~ の予定。今回の作品は「スケッチブック」(全集6・P225)、朗読担当素子さんのリクエストである。「病妻物」の企画展ともマッチするし、長さも手ごろかなと思う。さっそく全集をコピー、A4版両面に拡大印刷し9枚、テキスト20部を作成する。ぜひ参加を!
 その次は、8/19(土)14:00~ 同じく病妻物から「晩春日記」(全集5・P301)を考えている。朗読は、私の番である。
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-私の文章には独創性がないことを、私は自認している。一目で判る、独特の文体を持たないのである。私はこれを、作家としてひけ目に感じている。
-その代り、私の文章はまともな文章ではないかと、私は自負している。本来の文章道に則って、相当正しい文章ではないかと思っているのである。正しいという意味は、文法的な踏み外しが少く、正確で、晦渋でなく、ケレンや誤魔化しを使わず、推敲も行きわたり、句読点にいたるまで心をつかい、かなり吟味した語彙や修辞を用いているということになるであろう。私は日本の文脈を踏まえている上に、西洋の文脈の影響も受けている。斬新ではないが、古臭くもない、面白さに感嘆させるところが少い反面、じっくり噛みしめれば味が出ようということを狙っている。 (全集15 P111・随筆「まともな文章」)

-たとひ地味で目立たなくとも、まともな正攻法で行きたいと僕は思ふのである。作家が少しでも自分を大きくしたいと思ふなら、この道以外にはないと思はれるのである。
-私小説は文学のオーソドックスではないと言ふ人があるかもしれないが、所謂私小説と本格小説の区別の如きは、文学のオーソドックスといふこととは係はりないものと思ふ。要は、作家の精神の持ち方の如何にあると思ふのだ。
―塗色や軒の飾りなどの意匠によつて人眼を奪はうと浮身をやつす代りに、塔を支へる力を托すべき柱や木組をしつかりと手を抜かずに建てること、さうしてその美しさに惹かれること、これが僕の言ふまともな文学なのだ。(全集18 P189・随筆「まともな文学」)

 これら上林の随筆を引きながら、編者の坪内祐三氏はこう解説する。
-プロの物書きになってあらためて痛感するのだが、こういった「まともな文章」を、つまり「斬新ではないが、古臭くもない」文章を書くのは、実は、とても難しい。まわりの物書きの人々を見渡しても、この手の「まともな文章」を書ける人は、けっこう、数少い。 
古風なんだけれど、どこか、ハイカラな香りもただよってくる、老舗の洋食屋のメニューのような文体。地味だけど、けっしてくすんでいない文章。その文章に、まずは私は、はまったのだ。(「禁酒宣言」解説・ちくま文庫)

 今日も、全集を片手に資料をあさっている。つい横道にそれ、立ち止まったり、つまみ食いしたり・・・。効率のいい「まともな」資料調べになってはいない。


2017.04.25 館長の役得
-(小田原在の尾崎一雄を数人で訪ねた)帰りに湘南電車に乗ると、車掌が切符をしらべに来た。中野重治はそのころ参議院議員だつたので、パスを持つてゐた。彼はそれをポケットから取出すと、きまり悪るさうに掌のかげに隠して、車掌に見せた。(「中野重治の印象」・中野重治全集・月報13号)

-芥川は辞書を読むといふのだ。辞書は引くものとばかり思つてゐたのに、それを読むといふのであるから、私に衝撃を与へた。それに刺激を受けて、(中学三年の)夏休み中かかつて、父が若いとき読んだ十八史略に読みふけつたものだつた。(「芥川龍之介の思ひ出」・Creata45号)

 確認のため「校歌」「我が母校中村高校」の文章にあたっていたら、つい面白くなってずるずると全集15巻に読み耽っていた。上林さんは、小説も面白いが随筆もなかなかのものである。来客があるまでの束の間の楽しみではあったが、これも館長の役得のひとつである。

 もう一つの調べもので、図書館からちくま文庫「禁酒宣言」を引っ張り出してくる。調べているうちに編者坪内祐三の解説が面白くて、ここでもまた立ち止まって読み耽る。解説の後半部を、スタンレー鈴木の評論に丸投げしているのも大胆不敵である。

 そんなこんなで寄り道しているうちに、あっという間に閉館時間がやってきた。役得、役得・・・。
          たんぽぽ
              鏡小1年 植田 さや

       たんぽぽが セメントの あいだから
       わりこみを するように はえていた。
       となりの 草を まくらにして
       はっぱが ねていた。
       むりをして さかなくても いいのにな。
       手ぶくろの さきで さわったら
       かぜに つられて ゆれながら
       わたげが とんでいった。
       「わたげさん。こんどは、のはらにさいてね。」
       と いっても
       かぜの ふくほうに とんでいった。
              (「やまもも」第10集・1986年)

 日曜日、「児童詩コーナー」に新たな詩をはる。”無理をして咲かなくてもいいのにな” ”綿毛さん、こんどは野原に咲いてね” こどもたちの感性って、どうしてこんなにもピュアで清々しいんだろう。

 10:30、屋上の落ち葉を掃き終わり、最後の通路の上の落ち葉を掃き始めていると、奈々さんの「館長!お客さんですよ」の声。前県立文学館М館長さんである。故郷土佐清水に向かわれる途中に立ち寄ってくださる。この春退かれ、ちょっぴり時間にゆとりもできたとか、あれこれお話を伺う。まだまだお元気なМさん、また新たなステージで活躍されることだろう。手ぐすね引いて待っている人たちがいるに違いない。

 昼休み、合唱団「むぎ」の男性メンバー2名が来館。レクチャーホールの舞台で一時間余、3名でパートの音合わせ。時々こうして練習していないと、毎週水曜日夜の練習だけでは追いつかない。その後で、お腹をすかせてちょっぴり遅い昼食をとる。

 15:00過ぎ、宿毛市Kご夫妻、文学館で企画展観覧後、DVD「不屈のびったれ」を観てくれる。機器をセットする合間に、10/7午後公演の演劇「びったれの証」の宣伝を一言。興味を示されメモしてくれた。町民大学との共催だが、ひとりでも多くの方に観ていただきたい。
2017.04.22 全集15・P547
「2/20のブログに書いてあった上林さんの随筆『わが母校 中村高校』は、どこに書かれてありますか?」
 数日前、高新Hさんから電話がある。
「たしか、全集15の547ページにあったと思いますが。」

 それから、話は草野心平作詞の校歌へと飛ぶ。
 草野心平に校歌を作詞してもらった高校は、甲子園で縁起がいいのだとか・・・。中村は準優勝をし、県内でもう一校ある室戸はベスト8に進出した。40年前の春、中村が初戦に勝った時、心平さんはその作詞を依頼された方に、電報を打った。『私の作詞した校歌が、初めて甲子園で流れた』と。
 ついでに余談をひとつ。この春の一回戦中村VS前橋育英、その両校とも校歌は、草野心平。どちらが勝っても、心平さんの校歌が流れたのだ。(聞きたかったのは、もちろん中村の方だったが・・・)

 ここ数日、シルバーさんに庭の手入れをお願いしている。三日かけて、芝生も木々もびっかびかになった。ついでに、駐車場や庭の落ち葉も見事なまでに片づけてくれた。
 せっかくだから、今日は昼すぎまで4時間近くかけて、残っていた野外劇場・大階段の落ち葉をバキュームで一段一段掃除する。葉っぱ一枚残していない。シャキッと心も静まる。暑くなってきたので、屋上とひさしの上の掃除は、明日の心だ!

 GWを前に、あかつき館はすっきりとした姿になった。

 昨日は、高知朗読奉仕友の会ボランティア・宿毛のОさんが来館。何か月か前から取り組んでいた「続たんじまんじの記」(植田馨・著)の朗読がひとまず終了したとのこと。読み方不明だった200を超える言葉を、何十人もの方々に当たって、一つ一つ確認しておられた姿を知っているだけに、頭の下がる思いがする。こうした活動に支えられながら、視覚障害の方々に一冊の本が届けられていくのだ。ほんとうにご苦労さまです。